Friday, March 11, 2016

ヨハネの黙示録:追い出すと許す

ヨハネの黙示録 2:1-7

1 エペソにある教会の御使に、こう書きおくりなさい。
『右の手に七つの星を持つ者、七つの金の燭台の間を歩く者が、次のように言われる。
2 わたしは、あなたのわざと労苦と忍耐とを知っている。また、あなたが、悪い者たちをゆるしておくことができず、使徒と自称してはいるが、その実、使徒でない者たちをためしてみて、にせ者であると見抜いたことも、知っている。
3 あなたは忍耐をし続け、わたしの名のために忍びとおして、弱り果てることがなかった。
4 しかし、あなたに対して責むべきことがある。あなたは初めの愛から離れてしまった。
5 そこで、あなたはどこから落ちたかを思い起し、悔い改めて初めのわざを行いなさい。もし、そうしないで悔い改めなければ、わたしはあなたのところにきて、あなたの燭台をその場所から取りのけよう。
6 しかし、こういうことはある、あなたはニコライ宗の人々のわざを憎んでおり、わたしもそれを憎んでいる。
7 耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい。勝利を得る者には、神のパラダイスにあるいのちの木の実を食べることをゆるそう』。

今日はこの黙示録のエペソの教会に向けたメッセージについて話したいと思います。まず、一説では今イエス様が自分自身がどんな方なのかに関して語られています。彼は右の手に七つの星を持つ者、つまり七つの天使がイエス様の命令によって七つの教会といられていることが分かれます。金の燭台はもちろん、七つの教会の象徴であります。さっきの1:20で書いてるようです。

1:19 そこで、あなたの見たこと、現在のこと、今後起ろうとすることを、書きとめなさい。 1:20あなたがわたしの右手に見た七つの星と、七つの金の燭台との奥義は、こうである。すなわち、七つの星は七つの教会の御使であり、七つの燭台は七つの教会である。

ここで最も重要なのはエペソの教会の信徒たちが初めの愛から離れてしまったということなんです。これをもともとのギリシャ語の文字通りに訳すると離れてしまったと訳された動詞が〝追い出す″の意味になります。このギリシャ語のアフィエイミは追い出すの意味だけじゃなくて、〝許す″の意味もあります。どうやって、追い出すと許すの二つの意味が共存するんだろうと聞くと、実は我らがもし誰かを許そうとしたら、それは私に犯された誰かの罪を私の考えや心から追い出してもうそ罪の代価をもう払わなくてもいいっての状態になることなんですね。

そして、"悔い改めて初めのわざを行いなさい"とイエス様は語られてます。悔い改めるの意味はギリシャ語でメタノイアでメタの意味が変化、ノイアの意味は考え方なので、考え方を変化する、変えるの意味になります。だから、もし、はじめの愛を忘れて自分が好きな生き方でイエス様の事を忘れて生きていってたら、これからはメタノイアして、また初めのわざを行うべきですね。

それはもちろん、神様の言葉を読んで、祈って、神様が教えていただいた、生き方のように導かれる。

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